イギリスのラジオ文化とDrum 'n' Bass

Drum 'n' Bassの母国イギリスは長い時間を掛けて培われた重層的なラジオ文化を持つ国です。

テレビの普及が始まった1950年代以降ラジオ文化が著しく衰退した日本とは異なり、北米や欧州諸国などテレビと平行して独自の発展を遂げたラジオ文化を持つ国は数多く存在します。

そうした国に於ける音楽産業はラジオが多大な影響力を誇る場合が多く、日本のそれに慣れ親しんだ方にとっては驚き或いは戸惑いを感じることもあるのではないでしょうか。

今回はDrum 'n' Bassを楽しむ際にも接することになるラジオについて、ラジオ大国とも言えるイギリスのラジオ文化とDrum 'n' Bassの関わりをご紹介します。

BBC年次報告書とNHKの視聴率調査から読み解くラジオ聴取文化の違い

イギリスでは1922年の放送開始から1973年までBritish Broadcasting Corporation(BBC)のみが合法的なラジオ局でした。

長らく独立放送局が合法化されなかった為BBCは多くの予算を割きプログラムの充実を図り、そうした取り組みが今日の非常に多彩なプログラムを提供するBBC Radioの一因となり、独立放送局の合法化以降もBBC Radioが大きな影響力を維持している大きな要因となっています。

まずはイギリスのラジオ文化を主導して来たBBC Radioを主軸に置き日本との違いを見ていきましょう。

毎年BBCが公開している年次報告書とNHKが行っている視聴率調査資料を比較してみます。

2022/2023期年次報告書"BBC Group Annual Report and Accounts 2022/23"によるとBBC Radio 1の週ごと利用者率は14%、平均聴取時間は6時間13分とされており、これを1日辺りの聴取時間に変換すると約53分。BBC Radio内で最も聴取者の多いRadio 2は週ごとの利用者率は25%、平均聴取時間は11時間12分に上り、これを1日辺りの聴取時間に変換すると約96分という結果になります。

BBC Group Annual Report and Accounts 2022/23

では、日本のラジオ聴取時間はどうでしょう。NHK放送文化研究所が公開している"日本のラジオ聴取に関する現況"によれば「NHKのラジオ第1,第2,FMと,民放のAMとFMを合わせた「ラジオ全局計」の1日あたりの聴取時間は30分であった。このうち,NHKのラジオ第1,第2,FMを合わせた「NHKラジオ計」は10 分,民放のAM,FMを合わせた「民放ラジオ計」は20 分である(表9)。」と記されています。

NHK放送文化研究所の数値がNHKラジオ第1放送, NHKラジオ第2放送, NHKFM放送を合わせた数値、或いはそこに民法も合わせた数値であるのに対してBBC Radioは1から6までの主要チャンネルとBBC Asian Networkという細分化されたチャンネルで個別に調査・公開していることを留意することが必要なのですが、それら単独チャンネルの数値でさえ日本のラジオ全局計数値を上回る程イギリスではラジオが聴かれていることが分かります。

また、公共放送であるBBC Radioの他にもイギリスにはCapitalを始めとした民間資本の独立ラジオ局が多数存在しており、それらを合わせた場合この差は更に開くでしょう。

テレビ・ラジオ視聴(リアルタイム)の現況~2022年全国個人視聴率調査から~

現状の数値はイギリスと日本で大きな差があることがわかりましたが、今後の日本ラジオ文化に於ける成長の展望はどうでしょうか。

総務省が公表した2019年の調査結果"ラジオ受信機・聴取状況に関するアンケート調査結果(速報版)"によれば『インターネットでラジオ番組聴いていますか。』という問いに対し『聴いたことはないし、興味もない』と答えた人の割合が43.7%『聴いている』20.5%の2倍以上に上ることが報告されています。

2010年にIPサイマルラジオサービス・radiko.jpがサービスを開始しラジオへのアクセス環境を整備したとはいえ依然として日本に於けるラジオへの関心は低い様子です。

ラジオ受信機・聴取状況に関するアンケート調査結果(速報版)

統計的には日本のラジオ最盛期は1950年代までで、1953年にテレビ放送が開始されて以降日本はテレビが普及していくと共にラジオの影響力は衰えていきました。こうした傾向に当時の放送関係者が実効性のある対策を打てず"ラジオは旧時代のメディアである"という印象が固定化し現在に至ったと考えられます。

ラジオが音楽産業の中心に位置する国々

ラジオが殆ど関心を持たれていないメディアである日本とは異なり、他国ではテレビ普及後もラジオが音楽産業を主導し続けてきました。

例えばアメリカでは州ごとに膨大な数のラジオ局が存在するほか、有料衛星ラジオの様に広大な国土と車社会という生活様式に特化したビジネスモデルが成功を収めるなど独自のラジオ聴取文化が根付いていて、それはインターネット時代に突入しても続いています。近年でもラジオが重要視されているという例を一つご紹介しましょう。

Lists of radio stations in the United States - Wikipedia

2014年、アメリカのApple Inc.が元N.W.AのHip HopプロデューサーDr. DreとInterscope Recordsの創設者Jimmy Iovineが設立したヘッドフォンブランド・音楽ストリーミングサービスなどで著名な存在だったBeats Electronics(beats by dr. dre)を32億ドルの大金で買収したことを発表しました。

この企業買収の主な目的は翌年からサービスが開始されたApple Musicの準備の為であったと考えられますが、Apple Inc.は同時にBeatsブランドを冠したインターネットラジオApple Beats 1のサービスを開始しています(2020年にApple Music 1と改称)。

これに先行し2013年には類似サービスとしてiTunes Radioを立ち上げていたApple Inc.でしたが利用可能地域に制限があるなどサービス内容や利用方法は決して分かり易いものではありませんでした。

それに対しApple Music 1はインターネットを介して誰もが無料で24時間視聴することが可能なラジオ局で、聴取に対応したアプリケーションから気軽に聴くことが出来ます(2020年にはブラウザから聴取することにも正式対応)。

更に、Apple Inc.はサービスの開始に際してDJの一人に直前まで毎週月曜から木曜までイギリスの公共放送BBC Radio 1で最も聴取者の多い時間帯(19-21時)を担当していた人気DJであるZane Loweを招聘するなどMusic 1への力の入れようが窺えました。

日本に於けるラジオの地位から考えればビッグテックが大金を投じて世界中で聴けるラジオ局を新たに開設するというのは不思議に感じることですが、こうした動きがアメリカを始めとした世界のラジオ需要を表していると言えるのです。

また、Apple Music 1は基本的に音楽中心のプログラムを提供していますが、EminemPost Maloneなど世界的に有名なアーティストが多数出演しインタビュー内容がインターネットメディアで記事になることも多くそういった点でも音楽産業の主要なプレイヤーの一つとして捉えられていることが見てとれます。

Post Malone reveals how his Ozzy Osbourne collaboration came about

欧米のアーティストがインタビューで度々「ラジオ向けの楽曲を書くことの葛藤」について語るのにはこうしたラジオが持つ市場影響力の高さという背景があります。これは日本の音楽産業構造に慣れ親しんだ日本人には理解が難しいでしょう。

何故なら、ラジオがヒット曲を生む瞬間を殆どの日本人は経験したことがないのです。

deadmau5のブレイクスルーとBBC Radio 1の関係

次にイギリスのラジオの影響力の高さを物語る逸話をご紹介します。

deadmau5はカナダ出身のProgressive House, Electro House, Technoプロデューサーで、現在オンタリオ州はカナダに500万ドルの邸宅を保有する国際的なスターです。

そんなdeadmau5が今のような地位を得るきっかけはラジオの力を借りてのことでした。

2007年、Steve Dudaとdeadmau5から成るエレクトロハウスデュオBSODとしての活動を通してdeadmau5と面識を持ったイギリス人HouseプロデューサーChris Lakeは彼と直接連絡を取り合うようになりdeadmau5から送られて来る楽曲に驚きました。そしてChris LakeはFaxing BerlinをBBC Radio 1でDJを務めるPete Tongに送りこの楽曲がBBC Radio 1でプレイされるようになるとdeadmau5はイギリスで誰もが知るProgressive Houseプロデューサーとなったのです。

Faxing Berlinだけではなくその後続いたシングルJaded, Not Exactlyなどでも使用された所謂"deadmau5 Pluck"は2000年代後半のProgressive House / Progressive Tranceで大量に模倣され、今日ではHardwellMartin Garrixといった"EDMプロデューサー"の楽曲でも派生サウンドを聴くことが出来ます。この様にラジオが彼の人生のみならずElectronic Musicの歴史さえも変えたという点でFaxing Berlinのヒットはその影響力を考える上で象徴的な例です。

ここで重要なのはFaxing Berlinは一つの時代を築いた著名なシングルですが2006年のリリース(Play Records)からPete Tongが自身の番組でプレイするまで世界中の殆どの人に存在さえ知られずにいたということです。

今振り返れば彼がFaxing Berlin以前に制作していたdeadmau5名義の楽曲やBSODの音楽も十二分に魅力的ではあります。しかし、「BSODはプロモーションを行わなかった」とSteve Dudaが後に語っている通り、素晴らしい音楽も適切なプロモーションを行わなければ広がり方は限定的なものとなってしまいます

2007年当時殆ど無名という状態であったdeadmau5でしたがFaxing Berlinが成功を収めて以降はRemixオファーが殺到するようになり、翌年2008年にはBBC Radio 1's Essential Mixの依頼も受けるようになりました。この様なスターダムへの駆け上がり方はダンスフロアで徐々に浸透するような方法では困難なものであり、BBC Radio 1というイギリスのみならずヨーロッパの音楽市場に多大な影響力を持つ人気ラジオだからこそ起こせた出来事だったと言えます。

このブレイクスルーの少し前、deadmau5は生活に困窮しており音楽制作を辞め他の仕事を見つけるかどうかという選択を迫られていた時期もあったことが後に彼のインタビューで語られています。しかし、人脈とラジオが彼のプロデューサーとしてのキャリアを救い、後の音楽史すらも変えるうねりを起こしました。もし彼の音楽を経ないElectronic Musicの歴史があったとしたらそれは現在とは大きく異るものとなっていたでしょう。

DJ Times Magazine - FEATURE INTERVIEW
Deadmau5- 7 Days Between Stardom and a Straight Job (interview) :: Skrufff - News at Trackitdown

この様にdeadmau5をスターに導いたBBC Radio 1。では、誕生の経緯はどの様なものだったのでしょうか?

イギリスの海賊ラジオが育んだ若者のラジオ文化

1960年代のイギリスでは1950年代にアメリカで登場したRock & Rollを土台としつつよりBluesからの影響を強めた新しい音楽"Rock"が確立されました。若者達が熱狂する一方、The BeatlesThe Rolling Stonesなどによる1960年代頃から始まった音楽産業の飛躍は当時の保守的な大人達によって"非道徳的", "反社会的"であると断じられ公共メディアから締め出しを受けます。

Radio 1 at 50: How Pirate Radio Helped Rock Go Mainstream | Time

そうした一部のジャンルの音楽が公的なラジオで聴けなかった時代、新しく刺激的な音楽を求めるリスナーの欲求を見抜きイギリスの法が及ばない公海上から船舶を用いてイギリス国内に向けて放送する違法ラジオ局"海賊ラジオ"(Pirate Radio)が登場し大きな影響力を誇るようになります。この当時イギリスの領海は基線から3海里でした。

BBCがポピュラー・ミュージックの放送に厳しい制限を設ける中、聴きたい音楽を大量にプレイしてくれる海賊ラジオ局は若者達から熱烈な支持を受けるようになります。公海上からの放送は法の抜け穴を突いた手法ですが当然道義的には問題のある行為です。しかし、プロモーションの機会が得られないRockレーベルやグループ、そして広告を出稿する企業にとっても大量の聴衆を持つ海賊ラジオ局は互恵関係にありました。

こうしてRadio CarolineやRadio Atlantaなどを筆頭に無数に増えた海賊ラジオ局によってイギリスの海賊ラジオは黄金時代を迎えました。

イギリス政府の海賊ラジオ対策、副産物としての『BBC Radio 1』創設

こうした脱法行為についてイギリス政府も何時までも見過ごしているわけにはいかず、いよいよ取り締まりに乗り出します。

1966年にBBC RadioをRadio 1からRadio 4までそれぞれポピュラー・ミュージック、イージーリスニング、クラシック、スピーチに分類し再編成すると発表した後、1967年には海洋放送犯罪法Marine, &c., Broadcasting (Offences) Act 1967 - Wikipedia)の法改正を行い公海上からの放送を違法化すると殆どの海賊ラジオ局は閉鎖に追い込まれました。そしてイギリス政府はこの法律の成立から6週間後、前述した再編計画を実行。顧客の欲求に応える合法的なサービスを創設し違法サービスが影響力を持てないよう、BBC Radioの一つを15歳から29歳の"若者"へ向けたポピュラー・ミュージックのチャンネル'Radio 1'としました。

今日では最新の音楽を紹介するBBC Radioの主要チャンネルであるBBC Radio 1の創設がこうした玉突き事故のような形で為されたことは非常に興味深い事実です。ラジオ放送が開始されて間もない頃から海賊ラジオは存在しましたが1960年代のイギリスは間違いなく海賊ラジオの楽園であり、その終焉には大きな副産物を産みました。

因みにこうした"ユーザーのニーズに応える合法サービスが存在せず、違法サービスに顧客を奪われる"という現象は90年代後半、MP3コーデックとインターネット回線の普及に伴って登場したファイル共有ソフト・サービス"Napster"の登場によって反復されます。

欧米でも"CDの販売によって利益を出す"というビジネスモデルが基本だった当時、P2P技術を使用し自由な音楽ファイルの交換を提起したNapsterは悪質な違法コピーとして批判を受け、その後の合法サービスへの移行も上手く行かず訴訟の末破産という道を辿りました。

しかし、この一連の騒動は技術的には手軽で有意義な音楽体験が可能な時代が訪れているにも関わらずそれを合法的なビジネスモデルに落とし込むことが出来ないでいる音楽産業界の問題点を可視化し、結果的に有料音楽ダウンロードサービスiTunes Music Store(後のiTunes Store)の登場や今日のApple Music, Spotifyなど定額制音楽ストリーミングサービスといったインターネット時代の音楽産業の変革を後押しすることとなりました。

『再生』が奪う演奏家の仕事とBBC Sessions

話は逸れますが、BBC Radioの歴史を語る上で避けることの出来ないBBC Sessionsについて少し触れさせて下さい。

2017年、BBC Radio 1の開局から50年の節目にRadio CarolineやRadio Londonといった海賊ラジオ局でも働き、その後BBC Radio 1最初のDJとなったTony Blackburnは「BBCが1日当たり45分間しかポピュラー・ミュージックをプレイしなかった時代があったことは想像もつきません」と当時を回想しています。驚くべきことに当時のBBC Radioに於いてポピュラー・ミュージックの放送は1日45分に制限されていました。

“It is hard to imagine that there was a time when the BBC would only play 45 minutes of popular music per day and we, as teenagers, had to wait until 7pm in the evening for Radio Luxembourg to come on, and play the music we wanted to hear.”
(「BBCが1日当たり45分間しかポピュラー・ミュージックをプレイしなかった時代があったことは[※訳注: 今となっては]想像もつきません、私達ティーン・エイジャーはRadio Luxembourg[ ※訳注: 船舶を放送拠点とする海賊ラジオ局の一つ]が来て我々が聴きたい音楽をプレイする夕方午後7時まで待たなければなりませんでした。 」)

50 years since announcement of BBC Radio 1 | BT

こうした制限は"Needle Time"と呼ばれ1920年代後半には非公式ながら既に存在し、Radio 1創設後大きく緩和されたとはいえ一週間あたりのレコードプレイ可能時間は51時間に制限されました。何故このような制限が設けられたのでしょう?それは演奏家のユニオン(労働組合)による労働機会の保護運動が根強かったことが理由の一つに挙げられます。

Phonograph record(現在はVinylとも呼ばれるビニール製レコード)が発明されたのは19世紀のことですが機器の改良によって大衆が音楽を『再生』することによって楽しむことが自然なものとなったのは20世紀初頭のことです。つまりそれまで音楽は基本的に『譜面』であり、音楽として楽しむ為には必ず演奏家が必要になります。

更にラジオが購買意欲を高めるプロモーションプラットフォームとして機能することが明らかになると演奏家達はラジオで音楽が無制限に再生されることが自分達の生業にとって脅威になるという意識を抱き始めます。その為イギリスでは国内最大の労働組合"Musicians' Union(以下MU)"と音楽著作権管理団体"Phonographic Performance Limited"がBBCとの間で録音された音楽の再生に制限を設けることで合意したのでした。これがNeedle Timeです。

BBCはNeedle Timeによって既存録音物の放送時間が制限された分を演奏家を雇用し既存曲のカバーをラジオ専用に録音するなどMU側の利益を守る為にこの制度を運用していくのですが、その流れの中で新曲のプロモーション中のアーティストがBBC Radioで放送する専用のスタジオライブ音源を録音、BBC Radioがそれを放送するということも起こるようになりました。The Beatles, Led Zeppelin, Creamらが後にアルバムとして公式にリリースすることにもなるLive at the BBCBBC Sessionsはこの様な経緯から生み出されたものです。

これはNeedle Timeという制度を逆手に取った新曲プロモーションですが、こうして録音された音源はスタジオで録音されていながら細かな編集は行われない為ファンにとっては高音質のライブアルバムを聴くことと同じような体験が可能になるなど独自の価値を持つようになりました。

"ラジオ, テレビ, コンサートでプロモーションを行いレコード(CD)販売で利益を生み出す"というビジネスモデルか90年代後半まで大成功を納め音楽産業全体が潤うことを知っている我々にとってこの当時の判断は間違っている様に思えますが、約20年前メジャーレーベルがコピーコントロールCDに多額の資金を投資していたことを思い起こすと既得権益を失いかけた人間とは往々にしてこういった行動を起こすものだと理解することも出来ます。

この制度はその後も緩和が続けられましたが結局1988年に廃止されるまで存在し続けました。

因みにこのNeedle Time(直訳すると"針時間")という名称は当時Phonograph recordを再生する際、原理として音が記録された溝を針(Needle)によって読み取る蓄音機レコードプレーヤーを使用していたことに由来します。

インターネット時代の海賊ラジオ『UKF』

イギリス政府が海賊ラジオ局を取り締まり聴取者の欲求を合法的サービスRadio 1の創設によって満たしてからも小規模な海賊ラジオ局の開設は途絶えませんでした。そして2009年、インターネットが一般家庭に十分に普及した時代に突入した頃イギリスの青年Luke HoodによってYouTubeチャンネルUKF Drum & BassUKF Dubstepが開設されます。

2005年に設立された動画共有サービス"YouTube"は当初からMVやライブ映像を中心に違法な音楽ファイルのアップロードが相次ぎミュージシャン達から激しい批判に晒されて来ました。そして設立から間もなくMP3ファイルをアップロードすることでYouTubeに投稿可能な静止画の動画ファイルがエクスポートされるWebサービスが登場するなど"YouTubeで音楽を聴く"というライフスタイルが確立されていきます。

Luke Hoodもまた多くのユーザーと同じようにYouTubeを音楽視聴のプラットフォームとして利用し始めます。黒背景にシンプルなアートワークのみの静止画に音楽を乗せたビデオを投稿するというスタイルが初期のUKFのブランド戦略でした。

2011年、HuffPost UK掲載のインタビューでLuke HoodはUKFの開設と成長について「それは海賊ラジオのようなブートレグサービスとして始まり、その後私達に近づいてくるレーベルが現れました。 」と語っています。

UKFは当初Luke Hoodが友人と音楽を共有するという目的で作成したYouTubeチャンネルでしたが実態はYouTubeに無数に存在する違法アップロードチャンネルの一つに過ぎませんでした。しかし、UKFがそうした大多数の違法チャンネルと違った点は短期間で多くのSubscriberを獲得しプロモーショナルチャンネルとして影響力を持った点です。

その後Luke HoodはUKFを合法化し今日に至るまでベースミュージックのポータルとしてYouTubeによるプロモーションアップロード、インタビューの掲載、DJから提供を受けたDJ MixをPodcastとして配信するなどDrum 'n' BassやDubstepシーンに不可欠なポータルサイトへと成長させました。

The secret to the channels' success is serving up what listeners want, rather than forcing a new format down their throats.
(チャンネル成功の秘訣は新しいフォーマットを押し付けるのではなく、リスナーが望むものを提供することです。)

“It started as a bootleg service, like pirate radio, and then we had labels approaching us. They either give us clips or full tracks. The more YouTube views, the more it goes off in clubs and that benefits everyone.”
(「それは海賊ラジオのようなブートレグサービスとして始まり、その後私達に近づいてくるレーベルが現れました。彼らは我々にクリップやフルトラックを提供してくれます。YouTubeでの視聴者が増えれば、クラブへ行く人も増え皆に利益がもたらされます。」)

Luke Hood, The 19 Year Old From UKF Dubstep Tops YouTube Charts | HuffPost UK

「始まりは違法であっても業界に利益を齎すのであれば流れを絶たず合法サービスへ移行させる。」という事例は日本ではなかなか目にすることはありません。しかし、日本のDrum 'n' Bassファンもオンラインで聴取可能なイギリスの独立ラジオ局Kiss FMRinse FMも海賊ラジオとして放送を開始し後に合法化の為ライセンスを取得したという歴史を持っています。

2023年11月現在Subscriberが260万人を超えるUKF Drum & Bassチャンネルに楽曲がアップロードされるということはプロデューサーやレーベルにとって非常に大きな広告効果を期待することが出来るということを意味します。その結果としてリリースの購入やナイトクラブへ足を運ぶ人々が増加すればシーンの幅広い面に好影響が期待出来るのです。

HuffPost UK記事にある「フォーマットを押し付けるのではなく、リスナーが望むものを提供する」という一文はBBC Radioが海賊ラジオ対策としてRadio 1を創設したことと通じており、時代の変化とテクノロジーの進化はともあれ重要なのはリスナーの欲求を見抜き楽曲の制作者へ利益を還元する構造を構築することだということを物語っています。

最後に

"日本と欧米の音楽の何が違うのか"は欧州や北米の音楽から多大な影響を受け続けてきた日本人にとって長年論じられ続けているテーマです。しかし、その際には日常生活の中で音楽への触れ方に大きな差異があるということは滅多に話題に上りません。それは冒頭でも述べた様に"ラジオは旧時代のメディアである"という認識が根強い日本人にはそもそもそこに違いがあるという発想自体ないことが原因なのかもしれません。

日本でヒット曲を作る場合、全国的に放送されるテレビ広告に楽曲が使用されたり全国ネットの人気番組の主題歌や挿入曲に選ばれる(或いは選ばせる)、そして人気音楽番組による宣伝と何れもテレビを経由した道程を辿ることが有力とされて来ましたがラジオで何度もプレイされることはその影響力からさほど重要視されませんでした。一方で発達したラジオ文化を持つ国で育ったミュージシャンにとってプロモーションの主戦場はラジオであり、楽曲制作の段階からラジオで聴かれることを主眼に作業が行われることは原理として自然なことと言えます。

現在、定額制音楽ストリーミングサービスにはラジオが担ってきたような『新曲のプレイリスト』生成文化が取り入れられ、音楽制作者は自身の楽曲がフォロワーの多いプレイリストに収録されることが商業的な成功を左右する重大な要素と捉えています。SpotifyやApple Musicは個人が所有するローカルな音楽ライブラリに取って代わるだけでなく、これまでラジオが担ってきた"キュレーション"という役割も担うようになっているのです。

1996年にオンラインストリームを開始しいち早くインターネット時代への対応を始めたBBC Radioでさえ今後の音楽産業界で嘗てのような地位を守れるかは分かりません。しかし、ラジオが育てた文化は主体が変わったとしても何らかの形でこれからも継承されていくでしょう。